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ひきこもりを家から出す方法

ひきこもりを家から出す方法

感想文 小説 ヒューマンドラマ 心理
目次

図書館でこの小説と出会い、ノンフィクションだと思い込みました。なぜならば、タイトルはそんな感じだし、参考文献の部分も入っているのです(小説にあるの初めて見た)。そう思いましたが、この本は期待外れではありません。また、この本はちゃんと家から出す方法を明らかにしてくれました。本の概要は、俊治という引き籠もりが十年間部屋に閉じこもっていたゆえ、両親が教会のシスターを雇って、俊治を家から出すのを工夫しました。

小説の写真
いいところは多いよね笑

俊治と両親との視点に移るので、出す方法が説明して、俊治に及ぼした影響が読めます。その方法は結構面白かったので、ここで話します。

引き籠もりを家から出す方法の段階
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安全と安心
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作家の理論に因る、引き籠もりになる原因は、安心不足です。つまり、若い頃家中のギグシャックとか、子供のことが認められなかったこととかのため、家庭の安全と安心との感じが崩れてしまいます。従って、家の外に安心を失わせる目に遭うならば、両親を信頼出来ず、部屋に閉じこもるしか仕方ありません。俊治の場合は、親父にゲームやアニメ作品が捨てられたので、父親に絶対話さなくしました。

それゆえ、家から出す方法のまずの段階は話せるようになることなのです。両親と子が普通に会話出来れば、両親を信頼するようになり、安心するようになるはずなんです。それに、家族の生活の情報を伝えられて、比例の通り、情報量が上げればほど、安全感が戻ります。

筋のところまで、母親は旧同級生の人生達成を伝えたので、俊治の返事が悪化しました。なぜならば、俊治は自分の事情はよく分かっているから、そんなこと聞いたら、俊治の失敗が指摘されると気がする可能性が高いです。ピーマンが嫌いな子供にピーマンばかりの皿をあげれば、前よりピーマンがもっと食べたくなくなるはずでしょう。シスターの助言通り、俊治に興味や関心を話すことにした結果、両親は俊治のことを分かるようになり、恵むようになりました。

欲求
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引き籠もりにとって、欲求減衰は当然でしょう。外に出掛けないので、靴や衣服が欲しくなく、結局パソコン以外に何も要りません。ネット上、無料で様々な遊び事が出来るから、暇潰しは問題なさそうです。

ネット接続を消したら、最高のニートを部屋から出す方法になるでしょうかと言えば、実に解決にならないんです。なぜなら、家から出るまで成し遂げる方にも、まだ引き籠もりの状態に留まっている人もいるのです。家を出るのに、仕事をやってからまた部屋に戻ってアニメなどを見ます。俗に、半分引きと呼びます。また、肉体的に部屋から出てきたが、精神的にまだそこにいます。この方は、実際によく見かけます。大学生のなかにもいます。作家がそこまで考えて、方法を提供しました。すなわち、なにか意欲を感じられるようにすることです。この過程で、社会に積極的に参加したり、努力したりすることが出来ます。

元々、私もこういう型でした。大学の初期に、ぼんやりして中退しようと思ったから両親と相談しました。そこで、お母さんに「もし、大学を続ける動機があれば、それを見つけてください」と言われ、「もし、日本の会社に雇われてロボットで仕事すれば続きたい」と思いました。それから自然に、真面目に勉強したり、社交性を上げたり、本気で就職したりすることが普通になりました。私にとって、意欲を味わえば自然に活躍するということになりました。主人公の俊治もそうでした。

外の世界の伝達
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最後に、外の世界に向き合う段階なんです。このエピソードは結構長かったです。1つ目の出会いはメンヘラの綾という人でした。綾は初対面下手だし、虐待されたことを正直に言ったし、俊治が恥を抱いてるにも関わらず、自慢げに悪い都合を話しました。でも、二人ともやり方は違いますが、同じことをしていました。また、俊治の無言と綾の率直は感情的な防衛なんです。ニートの立場で、他人にけいべつされるはずだから、振る舞うが、このまま進めません。また、ドアが開けられません。。。

2つ目の出会いはまた女性でした。この度、佐藤という中学校の同級生で、佐藤のイジメのおかげで引き籠もりました。それなのに、出会った時、佐藤はイジメることをすっかり忘れてしまったから、俊治はショックを与えられて、部屋にまた閉じ籠もりました。「悲しくて、寂しくて、虚しくて、情けなくて、悔しくて、でも何も出来ず、しようともせず、時間が過ぎることに身を任せる。そのくせ歳を取ることを何よりも恐れている。現実から目を逸らし続けて、でもふとした時に見せられる。」と思って、人生を嘆きました。10年間引きニートで暮らしていても、登校を否定していても、佐藤は罰が絶対ありません。俊治は、他人を赦せなければ、苦しむ人は自分しかいないという教訓を得ました。

俊治は元々佐藤の所為で引き籠もったと思ったが、冷静に考えて、原因は自分にあったと気が付きました。プライドが高かったし、恐怖心で生活を送っていたから、乗り越えられませんでした。それでも、これが分かった後、佐藤と二度目に出会った時、準備が出来ました。佐藤に事情を冷静に解説して、ごめんなさいと言われなくても、赦しが出来ることになりました。

周りの人に与えた影響
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影響を受けた人は俊治と綾だけではありませんでした。方法の過程で、両親の扱いも変わりました。シスターと相談した時、「子供を産むのはなんのためだろう」と聞かれて、厳しい育ち方が指摘されるように感じて、悔い改めました。俊治はまた部屋に閉じ籠もった時、誰かを責めるより、誰かに罰するよりも、息子の味方になるのを選びました。両親の扱いは、怒ってる先生のようから、親しい人に変わってしまいました。根本的に、この小説の本名は「寛容物語」でしょう。俊治は、佐藤のいじめを赦して、両親は期待外れの世渡り下手を認めました。

加齢と発達
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さて、どうして人はこの状態になるのでしょうか?俊治は歳だけ取って人生を送ったことを悲しんでいました。それでも、人生の道をどうやって進むのか?仕事している人をニートの上に置きますが、社会に役に立ちますか?哲学ですが、大まかに言うと人生の目標は学校、大学・専門学校、就職、仕事、結婚、出産、威力を上げ、退職、などですけれど、ある人にとって目標の達成は滑らかではありません。なぜでしょうか?主因は発達妨害なんでしょう。学校の頃、皆が頭良いか頭悪いかの段階に付いたけれど、そんなことは脳の発達と性格によることだと気が付きません。なので、引きこもりは両親と社会を憎むから無駄をしていると思い込めます。ニートはこの状態から逃げ穴はないと気がするかもしれません。皮肉にも、主人公の父親はゲームなどを捨てることで俊治を助けようとしましたが、妨げました。「父が勝手に俺の物を捨てるから、自分でなにもできない」と思うようになったそうです。作家がこの状態をよく描写するのは憧れます。

発達の気配は、挑戦の克服する能力とか、社会関係ができる能力とか、合理的な考え方を発育するとかことです。1つ欠ければ、年齢によらず生活が崩れます。主に、学校いじめのせいで、社交性がちょっと失ってしまいます。それに、イジメられなかった人と比べたら、積極的に関係を作りたくないし、公的なことを避けます。年を取っても、様子は残るから、年取りと精神発達は傾向に過ぎないのです。この小説のおかげでこういう風に考えるようになりました。

人はどうやって救う?
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社会の問題を解決するには、根本から直る方がいいのではと思います。歴史上、様々な社会問題が出現しましたが、原因はほぼ同じだから、時代劇を見ると共感します。また、服装や言語の相違にも関わらず、大昔から続いた在り来りがあります。すなわち支配欲とか、企みとか、戦争とかはどの時代にも影響を及ぼします。現代、「私に権力を与えれば、民の事情変えるようになる」を前提として、政治家が国民を説得します。人々の事情を変えたら、これらの人にとって幸せになるという考え方で、政策を作ります。それでも、こういう手段は真理ではなさそうです。また、対象者からすると、変化は余りないでしょう。

逆に、この小説の登場人物は「人を救うのは優しさ」という考え方をしました。俊治の場合は、お金を出しても、物を与えても、幸せにならないにちがいありません。最後の場面で、俊治が「裏表のない優しさが欲しかった」という風に述べました。なによりも、人生の目的や社会関係の存在は大事でしょう。ある人は、臥薪嘗胆は大丈夫だけど、人生に迷っている方は、挑戦できる人はいなさそうです。

同じように、人が変わるのは、内から外へ。また、心から体へ。政治家の「もし、わざわざ人々の境遇を変えたら、人々の考えや感情も変わるはずです」という考え方に対して、「もし、誠心誠意心遣いしたら、また人々が優しさや応援を感じられば、その人は自分で事情を変える」という原則です。大変難しいことですけれど、これから世の中の人を優しく扱いましょう。